出井さんとの思い出vol.2:出井さんとの初対面

コラム

第1回の記事はこちら。『出井さんとの思い出vol.1:出井さんと出会うまでの前日譚』

Googleを退職することを決意

さて、辻野さんから「次までに返事を聞かせてくれ」ということで、Google入社2年半の私は大いに迷いました。徐々に仕事も覚えて少しは戦力になってきた頃でしたし、Googleは大好きな会社です。丁度、オフィスが渋谷のセルリアンタワーから六本木ヒルズに移る時期で、2008年12月に世に出たAndroidのスマートフォンがiPhoneとともに普及しはじめ、運用型広告も次のフェーズに移り変わろうとしていた頃で、残っていてもそれはそれでエキサイティングな経験だったと思います。

ただ、色々考えた結果、辻野さんや出井さんとスタートアップで最初から働ける、といった機会はこの先ないだろう、ということは確実なように思えました。熟慮の結果、2年半勤めたGoogleを退職することにしました。今にして思えばわずか2年半の短い間ですが、新卒の2年半は個人的にとても密度が濃く、会社としてもAndroid、Chrome、Street Viewが登場し、Google 初のTV CMが始まるなど、Googleが一般にも認知されはじめたのがこの頃でした。優秀な同期にも恵まれ、目をかけてくださる先輩もたくさんいらっしゃったので、本当に難しい決断でした。同期がサプライズで六本木ヒルズのカフェかどこかで送別会を開いてくれた時は本当に涙がこぼれました。

実際に、転職をしてからのその後は苦い思いの連続だったのですが、それでもこの時の決断は間違っていなかったし、私の中で大きな財産になっています。少なくとも、あのままGoogleにいたら経験が出来なかったことばかりでした。時が経つにつれて、かけがえのない思い出となっています。

出井さんとの初めての出会い

Googleは2010年の9月半ばに退職をしたと記憶しています。辻野さんと品川のホテルのラウンジでお会いしたのが6月頃のことで、そこから3ヶ月ほどはGoogleに在籍しながら折を見てクオンタムリープ社に出入りし、創業の準備をすることになりました。当時のクオンタムリープ社は丸の内の銀行協会ビル(現みずほ丸の内タワー)にあって、その会議室を借りて作業などをしていました。

Googleには在職中だったので、主には辻野さんとの打ち合わせや、社外の方との面談の際にクオンタムリープ社に出向くだけだったのですが、2回目の訪問で辻野さんから「今日は出井さんがいるから」ということで出井さんのお部屋に自己紹介をしに行くことになりました。「いつかはお会いするだろう」とは思っていましたが、まさかこんな早くとは思わず、辻野さんの言葉を聞いて一気に背筋が伸びました。

出井さんの執務室に通され、辻野さんのご紹介を受けて初めてご挨拶をさせていただきました。当時の若者としてのリアルな心境としては、まずそもそも場所が丸の内の一等地で皇居を見下ろせるビルなわけで、そこから圧倒されていました。(お恥ずかしい 、でもそれがリアルです 笑)Googleはカリフォルニアの会社ですし、「スーツがなくても真剣に仕事はできる。」という社是(Googleが掲げる10の事実)があるほどカジュアルな雰囲気の会社でしたし、若い会社なので50歳以上の方とほとんどお話したことがありませんでした。本当に緊張しましたね。

ドアを入って左側の執務机に出井さんが座っておられ、スーツ姿でびっしりと決まったメディアでお見かけする通りの格好をしておられまして、若者風の言葉で言えば「オーラが半端なかった」です。名刺の交換をさせていただき、辻野さんからの紹介を受け、自己紹介を済ませると年齢を聞かれました。

出井さん:「いまいくつだ?」

杓谷:「今年26になります」

出井さん:「俺がSONYを辞めようとした歳だな」

辻野さん:「そんなことあったんですか?」

何でも、仕事帰りの電車の中でSONYの悪口を大声で喋っていたら、会社の先輩に聞かれてしまっていたらしく、次の日にこっぴどく叱られ、売り言葉に買い言葉で「辞めてやる」と言ってしばらく会社にこなかったということでした。

今にして思えば、私の緊張をほぐすためにおっしゃっていただいとわかるのですが、Googleを辞める決断をしたばかりの自分にとって、SONYのCEOを務めるほどの方でもそういう時期があったのだと思うと救われるような思いがした気がしました。

時間にすると2,3分の出来事なのですが、今でも鮮明に覚えているのはよほど緊張していたからでしょう(笑)鋭い眼差しとダンディさと優しさがミックスされた大人の風格は今思い返しても本当にカッコよかったですね。SONYのエグゼクティブレベルを経験された方々はどこか色気があり、海外にそのまま出て行っても見劣りしない格好良さがありました。

その時いただいた出井さんの名刺

SONYの存在感はまさにGoogleだった

それから本を買ってSONYのことを勉強してみました。1980年代、盛田昭夫さんが米国のAmerican ExpressのCMに出るほど時代の寵児だったこと。盛田さん、井深さんが二人とも早稲田だったので、そういえば早稲田の図書館に井深大ホールってあったけどあれは井深さんのことだったのか、と今更ながら思ってみたりしました。

盛田昭夫さんが亡くなられた際に、スティーブ・ジョブズがAppleで追悼の会を開いたこと。ビル・ゲイツが来日した際に、ミーティングの雰囲気が良くなかったのが、予定外に盛田さんが来た瞬間に直立不動になって、感激したのかその後のミーティングがとてもスムーズになったこと、などといったお話を色々聞かせていただきました。SONYの存在感というのはすごいものがあったんだなと思います。NYのMoMAにも盛田さんを記念したコーナーがありますね。

SONYの存在感はまさに今のGoogleやAppleのようなものだったのだと思います。今はGAFA全盛ですが、またどこかのタイミングで日本が盛り返すチャンスもきっとあるんじゃないかと思います。社内でGoogleの凄さをまざまざと見せつけられたので、これはとても太刀打ちできない、と思っていたのですが、こういう事実を知っていれば変に臆することもありません。こうした事実を直接当事者からお聞きできたのも本当に貴重な経験でした。

SONYだって、なんだかよくわからない炊飯器とか座布団あっためる機械とか創業時は変なプロダクトを作ってましたし、千里の道も一歩からですね。

杓谷 匠杓谷 匠

1984年生まれ。2008年に新卒でGoogleに入社して以来、一貫して運用型広告の世界に従事。2010年にスタートアップに参画するも、川原で膝を抱える日々を経験。その後、Tripadvisor、Google、ATARAを経て、2019年に英国に籍を置く世界最大級のGMPパートナーJellyfishの日本法人の立ち上げに参画。

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