出井さんとの思い出vol.3:「Atom」と「Bit」

コラム

第2回の記事はこちら。『出井さんとの思い出vol.2:出井さんとの初対面』

スタートアップの立ち上げ

出井さんとのご挨拶も済ませ、いよいよ本格的に辻野さんのもとでスタートアップ企業を立ち上げることになりました。十数年経った今振り返ってみると、このスタートアップの構想は、出井さんがクオンタムリープで培った人脈を総動員して注力しようとしていた肝入りのプロジェクトだったのではないかな、と思います。言ってしまえば、第2のSONYを作る、というくらいの意気込みだったのかもしれません。

当時の出井さんのクオンタムリープ社は「Asia Innovation Forum」というイベントを1年に1度開いておられました。私自身は参加したことはありませんが、出井さんが関わっている会社の方々や、元国連の緒方貞子さんなどを始めとする錚々たる顔ぶれの方が集まるイベントでした。

ビジネス面では、主に経営コンサル、M&Aの仲介などもやられており、当時はSpecial Purpose Company(特別目的会社)を作って吉本興業の資本構成を組み直すプロジェクトなどで話題となりました。吉本興業の株主構成は、この時から各民法キー局が出資するという座組になりました。

SONYでのご経験はもちろんのこと、こうしたクオンタムリープで築いた人脈、経験を使って、何か本格的に事業を立ち上げたい、という時に丁度良いタイミングで辻野さんがGoogleを離れることになり、辻野さんを代表に据えて本格的にこの構想を前に進めよう、とお考えになられたのだと思います。

「Atom」部門と「Bit」部門

このスタートアップは、「Atom」(≒物質)部門と「Bit」(≒情報)部門の2つがあり、「Atom」に関してはハードウェアのプロトタイピングをする事業部で、「Bit」に関してはインターネット上で手軽にコンテンツを楽しむことができるような、今でいるNetflixやSpotifyのようなプラットフォームを構築して、グローバルに流通するプラットフォームを作ることを目的としていました。

「Atom」と「Bit」という耳慣れない言葉を使っていますが、言ってしまえば、出井さんがSONY時代にやられていた「ハードウェア」と「ソフトウェア」の融合を、もう一度小さな船でチャレンジしてみよう、という意図だったと思います。

出井さんの周りには、いまや世界中の方々が使うPlayStationのコントローラーや、VAIOのデザインをされたデザイナーの方などがいましたし、吉本興業の買収を通じてコンテンツの権利を保有している主要プレーヤーとの人脈も豊富に揃ってきたところだったので、そこを辻野さんが統括したらやってやれないことはないだろう、とお考えになられたのだと思います。

私は、当時はまだ珍しかったGoogleを中心としたデジタルマーケティングを知る人間として「Bit」部門に所属し、海外向けに日本のコンテンツを配信するための一員として誘っていただいたのだと知るのは随分後になってからのことです。おそらく、私が海外のGoogleドメインでの日本関連の検索ワードの検索数などを見て、初めてコンセプトだけでなく、数値としてニーズなどが裏付けすることができるかも、少しは使えそうだな、と思ったのだと思います。

今振り返ってみると、「Atom」とか「Bit」とか一見耳慣れない表現を使ってビジョンを伝えるのは、「デジタルドリームキッズ」「クオリア」などといったフレーズを使ってビジョンを伝えてきた、とても出井さんらしいやり方だったなと思います。SONYでも様々な大プロジェクトをこうやって進められたんだろうな、と思うと貴重な体験でした。

5人の株主

このスタートアップの立ち上げを期に、クオンタムリープ社は六本木ミッドタウンの檜町公園に隣接するパークサイドシックスに拠点を移すことを計画します。Vol.1の記事で、パークサイドシックスを訪問したのはそういった背景があったからでした。確か、全部で5階建ての建物だったと思うのですが、1階を「Atom」部門のショールームにして、3、4階をスタートアップ、5階をクオンタムリープが入居する、みたいな計画だったと思います。

この頃になると、このスタートアップへの出資者も決まってきました。出井さん、辻野さんのお二人に加えて、出井さんのご人脈で、当時米国のベンチャーキャピタルファンドDCMに所属されていた現WiLの伊佐山元さん、イタリア人以外で初めてフェラーリのデザイナーを担当されたKen Okuyamaさん、そしてX JAPANのYOSHIKIさんという錚々たるメンバーが出資者として名を連ねました。

Ken Okuyamaさんが「Atom」部門で製品のデザインを担当し、海外でも名前が通るミュージシャンのYOSHIKIさんが「Bit」部門、という構想だったのではないかと思います。YOSHIKIさんは元々SONY Musicからデビューしたという経緯があり、2008年のX JAPANの再結成に関連して出井さんにアドバイスを求めていたことをきっかけに親交を深めたと伺っています。

さて、こうした背景はスタートアップが立ち上がってから色々お話を伺う中でわかってきたことなのですが、当時の私にとってはその背景はまったく知らないことで、初めて5人の株主についての話を伺った時は、まさに晴天の霹靂。

ある日、パークサイドシックス1階のカフェで辻野さんが「X JAPANのYOSHIKIってミュージシャンって知ってる? 出井さんが連れてきたんだけどさ」とおっしゃられた時には本当にたまげました。なにせ私は中学時代からのXファンなわけですから。「知ってるもなにも、大ファンです」と即答しました。そして次々と出てくるKen Okuyamaさん、伊佐山さんなどの華々しいご経歴。当時の私にとっては、雲の上の天上人の話のように思えました。

株主の初顔合わせ

それから後日、株主の5人が初めて顔を合わせるということになり、改めてこのスタートアップの設立の主旨についてお話をすることになりました。確か、銀行協会ビルのクオンタムリープ社の会議室で行われたと思いますので、私もまだGoogleに籍を置いていたころ、2010年の7,8月頃のことだったのではないでしょうか。

まず、伊佐山さんが先にご到着されました。私はそこでベンチャーキャピタリストという肩書の方を初めて目にしたのではないでしょうか。とても頭が切れる方だなというのがそのオーラで一瞬で伝わってきました。この会議の資料の作成には私も関わっていたので、こんな頭の良い方が見たらどんな反応をされるのだろう、とドキドキしていた記憶があります。でも、そのドキドキも次のドキドキにかき消されます。

そうです、YOSHIKIさんがご到着されたのです。先程の伊佐山さんのドキドキとはまた違った種類のドキドキが迫ってきます。オフィスの入口から誘導係として会議室まで案内する大役を仰せつかりまして、ボディガードの方とご一緒に会議室までご案内しました。

今でこそ、ビジネスマンとしてのYOSHIKIさんの立場もある程度想像できるのですが、まだ25、6歳の頃のことですから、恥ずかしながらどうしてもミュージシャンとしてのYOSHIKIさんとして見てしまいます。東京ドームで遠くから眺めていたYOSHIKIさんが目の前にいるわけです。「一体いま自分は何をしているんだろう?」と思って目眩がしてきそうでした。そしてこの時点ですでに緊張しすぎて胃が痛い(苦笑)。我ながらなんという器の小ささ。なんとなく、国内外の要人と会わなくてはいけない天皇陛下や総理大臣って本当に凄いな、などといったどうでも良いことが頭をよぎります。

そして忘れてはいけないのはこの会議室には元SONYのCEOと元Google日本法人の代表が同席しているわけです。緊張感が半端ない。もう一度、いや、何度でも言いたい。緊張感が半端ない。残念ながら、Ken Okuyamaさんは山形をベースに活動されていたので、当日になってお仕事の関係か何かでこの日は急遽来られなくなってしまったと記憶しています。

当時Googleが入居していた渋谷のセルリアンタワーのエレベーターでNikesh Arora(当時のGoogleのGlobal Salesのトップ。後にソフトバンクの孫正義に引き抜かれる。)、Daniel Alegre(GoogleのAPACのGlobal Salesのトップ)、辻野さん(Google日本法人代表)の3人が乗るエレベータにタイミング悪く乗り合わせてしまった時以上の緊張感が襲ってきます(笑)。

場の雰囲気を和ませたのは…

そんな張り詰めた雰囲気(を感じていたのは私だけかもしれませんが)の中、いよいよ第1回株主会議が始まりました。出井さんの紹介を受けて、辻野さんが「Atom」と「Bit」の説明を進め、重厚な雰囲気の中話が進んでいきます。イメージとしては、ドラマ『半沢直樹』の東京中央銀行の役員室のイメージでご想像いただければほぼ間違いありません。私は予算委員会の衆議院議員の後ろに控えている官僚のごとく待機し、固唾を呑んで会議の行く末を見守っていました。いやはや胃が痛い。

私の胃壁も、もうそろそろ限界で穴が空くかと思われた矢先、そんな重厚な雰囲気を一気に和ませてくれたのは、意外なことに、YOSHIKIさんでした。

辻野さんが「bit」部門の説明に写ったところで「Spotifyって知ってますか?」と株主の中で最初に口火を切って発言され、当時日本でも少しずつその存在が知られてきたSpotifyの話を熱心にご説明くださいました。

YOSHIKIさんは2000年代前半のNapstarによる海賊版ダウンロードの被害などの対策活動をされておりLAで行っていて、その時にNapstarの創業者のショーン・パーカー(Facebookの初期投資家で、マーク・ザッカーバーグにシリコンバレーに拠点を移すように勧めた人物としても知られる)とご面識があったようで、そのショーン・パーカーとのご縁で彼が設立に関わっていたSpotifyもよく知っていたとのことでした。

YOSHIKIさんの考えとしては、日本版のSpotifyを「bit」部門で作れないかとご提案くださったのだと思います。版権をうまく処理しながらフリーミアムモデルで国内外に音楽を広めていく日本発のプラットフォーム。当時の自分にとってSpotifyは、IT系のサービスを特集するニュースサイトTechCrunchなどで急に騒がれ始めてきたなぁ、といった程度の印象でしかありませんでした。たしか、出版権等の都合で当時日本では利用できなかったはずです。なんといっても2010年の私はGoogle在籍時代に社員全員に支給されたAndroid携帯を持っていたものの、iPod nanoで音楽を聴いていましたし、まだガラケーをメインに使っていた時代でした。スマートフォンのことをフルブラウザつき携帯、なんて言っていましたね。

また、日本のコンテンツをひとつのプラットフォームに束ねて海外に展開する、という「Bit」部門の説明の中で、海外の漫画などを含む日本のコンテンツ関連の検索数や、当時日本のテレビでも特集されていた、漫画やアニメなどのサブカルチャーを特集するフランスの「JAPAN EXPO」、アメリカの「オタコン」などの動員数などを紹介したのですが、ここでもYOSHIKIさんが「僕、このイベント参加したことあります」とお話くださって、出井さんもフランスの駐在経験があったので、その場が大いに盛り上がりました。

YOSHIKIさんがここまで積極的にお話してくださるとは個人的には予期していなかったので、本当に驚いたことをよく覚えています。我々スタッフのメンバーにも話を振っていただいたりして、この方は本当に気配りの方なんだな、とビジネスマンとしてのYOSHIKIさんの一面を目の当たりにした思いでした。

今思い返してみると

当時の私はGoogleと、広告業界のことを少しかじった程度の知見しかなかったので、その時の辻野さんのお立場とか、私が演じるべき役割などを正確に理解できておらず、本当に未熟でした。今の自分であれば、辻野さんを仕事面でも心理面でも、もっとサポートできたと思います。SONYのビジネスや、SONY時代の出井さんと辻野さんのご関係なども十分に把握しきれておらず、ただただ右往左往する若者になっていた自分を思い返すと、本当に穴があったら入りたい気持ちになります。(もちろん、あの当時自分の持っている力はすべて発揮したとは思いますが、それでも実力が圧倒的に足りない。)

あれから10年以上の歲月が経つ中で「あの時、ああすれば辻野さんをもっとサポートできたかもしれない」「こうすれば良かったはずだ」「あの出井さんの発言はもしかしたらこういう背景があったのかもしれない」と、考えることがあります。時間が経つにつれ、ふと謎が解けて「あの時のあの件は、こういうことだったのか」と思うことがたくさんあります。

ある意味で、私にとっての悟りを開くための禅問答のような存在になっていて、これは出井さん、そして辻野さんがくださった大きなプレゼントだったと思います。この先も、折りに触れ、この経験と付き合って行くことになりそうです。

杓谷 匠杓谷 匠

1984年生まれ。2008年に新卒でGoogleに入社して以来、一貫して運用型広告の世界に従事。2010年にスタートアップに参画するも、川原で膝を抱える日々を経験。その後、Tripadvisor、Google、ATARAを経て、2019年に英国に籍を置く世界最大級のGMPパートナーJellyfishの日本法人の立ち上げに参画。

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