出井さんとの思い出 vol.5 Final:私にとって出井さんとは

コラム

第4回の記事はこちら。『出井さんとの思い出vol.3:「Atom」と「Bit」』

出井さんとの会食

「Bit」部門の立ち上げに奔走する一方で、何度か出井さんとの会食に臨席させていただきました。10年以上前のことなので順番などはあやふやですが、おそらく3回同席させていただいたように記憶しています。

  1. 六本木の中国飯店
  2. 出井さんのご自宅
  3. 六本木ヒルズクラブのレストラン

基本的には株主の皆様がメインの会食で、私は同席して何かメモを取るといった形で臨席していました。また、YOSHIKIさんのご厚意でX JAPANのライブにもご招待していただき、出井さんと一緒にライブを鑑賞しました。直接出井さんとお話させていただいたのは、会食の時などが多かったので、その時のことを当時の私の目線から少し振り返りたいと思います。

六本木の中国飯店にて

初回の六本木の中国飯店での会食では、株主会議に出席できなかったKen Okuyamaさんが初めてご出席されました。株主会議でムードメーカーとなっていたYOSHIKIさんは残念ながら出席できませんでしたが、出井さん、Ken Okuyamaさん、伊佐山さん、辻野さんがご出席されたのではないかと思います。

当時の私の印象としては、エグゼクティブはこういうところで会食をするのか!といった本当に田舎者の感想しか出てきませんでした。何を食べたかまったく覚えていないので、終始緊張していたのだと思います。口を挟む余裕などまったくなかったのですが、唯一発言できたことなどは今でも覚えています。

たしか、当時民主党政権時代だったので、自民党時代との変化などが話題になっていて、その中でITリテラシーの教育をどうするか、などをお話になられていて、Ken Okuyamaさんが気を利かせてくれたのか、「若い人達はどうお考えですか?」と私に話を振ってくださったように記憶しています。正直何を答えたかは覚えていないのですが、優しい方だなと思うと同時に、出井さん達が私の意見を審査されているような気がして緊張したことを思い出します。

出井さんのご自宅での会食

2回目の会食は、その約1ヶ月後に行われました。これは、株主会議というわけではなかったかもしれません。

ご自宅にお邪魔すると、当時ソフトバンクに在籍されていて、VXというビデオカメラの開発を担当した方などSONYのOBの方達がご出席されていたと思います。私は、学生時代に映画製作サークルに所属していたので、この人があのVXのカメラを作ったんだ、と思うと感慨深い思いでした。「VXが出たおかげでアダルトビデオ業界が一気に変わった」などと笑ってお話になられていましたが、このビデオカメラのおかげで多くの自主制作映画ができたり、「水曜どうでしょう」や「進め電波少年!」などの人気テレビ番組が出たといっても過言ではないでしょう。

出井さんのご自宅にお邪魔すると、まず最初にご自宅の応接室のような場所で、30歳前後の起業家が出井さんに熱心にご相談をされておられました。こんな自宅に招いてでも寸暇を惜しんで若手経営者にアドバイスをしているのか、と感動した記憶があります。そして、その30前後の起業家の方の事業領域がマーケティング関連だったこともすごく刺激を受けました。

その後、地下のオーディオルームに行き、そこでサンドイッチなどをつまみながら話が進みました。教室ほどの広さのオーディオルームで、プロジェクター、オーディオなど当然ながらすべてSONY製品で、そこで映されるBlu-rayの映画からソフトまですべてSONY製品で溢れていました。SONYのすべての事業ポートフォリオがそこに集まっているような感じがして壮観でした。また、執務机の周辺には、おそらくアメリカで作られたであろう井深さんや盛田さんのポスターなどが飾られており、とても敬愛されているご様子でした。

何をお話したかわかりませんが、巨大なスクリーンで、X JAPANの紹介フィルムを流して元SONYの方々に紹介していたり、なぜか「いいちこ」のCMをずっとみんなで見ていた記憶があります。社外取締役などをされたいたのでしょうか。そこで、盛田さんのご実家が「ねのひ」を製造されている酒造メーカーであることを知りました。

また、その日は月曜か火曜だったと思うのですが、その前週の土曜か日曜に静岡銀行主催のイベントで出井さんがお話になられたようで、その御礼の日本酒がありまして、なぜかその日本酒を私がいただいたという記憶があります。

X JAPANのライブ

おそらく、2回めの会食のあとだったと思うのですが、YOSHIKIさんのご招待で、スタートアップの関係者みんなで日産スタジアムで行われたX JAPANのLIVEを見に行きました。招待席の個室からみんなでライブを見るという、数年前だったら考えられない場所に自分がいたわけですから、とても不思議な気持ちでした。

出井さんが終始楽しそうにみんなの様子とライブを鑑賞されていて、時々みんなに携帯の写真を見せて「これがYOSHIKIの○○なんだよ」と嬉しそうに携帯を見せてくれました。いつも眼光鋭い感じですが、茶目っ気もたくさんある方なんだな、と思った記憶があります。

ライブが終わると、YOSHIKIさんをはじめメンバーの皆さんが関係者に挨拶に来るのですが、そこでYOSHIKIさんのお母様が「出井さん、出井さん!」と嬉しそうに声をかけられていて、会場全体が微笑みに包まれるという光景をよく覚えています。

そのYOSHIKIさんのお母様もつい先日亡くなられたとお聞きしました。時間が過ぎていくのがあっという間で、本当になんとも言えない寂しい気持ちになります。

六本木ヒルズクラブにて

3度目の会食は、パークサイドシックスで株主会議を開いた後に行ったように思います。様々なコンテンツホルダーと会話を進めるもののなかなか良い手応えがない中で、このスタートアップも少し行き詰まっていた頃でした。

出井さんは株主として君臨し、辻野さんがその実行部隊として、私というお荷物を抱えながら事業を進める。辻野さんのプレッシャーはとても重たかったのではないかと想像しますが、強い意思で前に進み続ける辻野さんの後ろ姿は本当にかっこいい背中でした。

場の空気が重たくなると、YOSHIKIさんが明るく盛り上げるために「考える前にやってみちゃえばいいんじゃないんですかね。僕は思いつくとすぐに始めちゃうタイプなんで」と発言されていらっしゃったのが印象的でした。1から自分でインディーズでレコードを作って40万枚売りさばいてきた人ですから、その説得力や半端ない。株主会議では、本当にイメージとは裏腹にいつもYOSHIKIさんがムードメーカーで、毎回助けていただきました。

ミーティングが終わると、六本木ヒルズクラブのレストランに向かいました。

この頃になると、少し緊張もほぐれ、出井さんやYOSHIKIさんがいらっしゃる場に同席するなんてめったにないから一言だけでも発言しよう、と自分から話題を切り込んでみたりできるようになりました。ただ、うまく具体的なところに話を着地できず、「なんだ」と出井さんがおっしゃられたのがとても印象に残っています。私としては渾身の会話の切り出しだったのですが、まだまだ緊張と引き出しの少なさでうまく話をもっていけませんでした。「なんだ」は一見ネガティブなように聞こえますが、出井さんがしっかり話を聞いてくださったからこその「なんだ」なので、僕にとっては勲章のような「なんだ」で、とても思い出深い出井さんとの会話のひとつです。

私にとっての出井さんとは

僕自身はそこにどういう背景があったのかは詳しくわからないのですが、その後、スタートアップは事実上辻野さんの会社となり、大きく方向を転換することになりました。なので、出井さんとの接点があったのはおそらくその会食が最後だったと思います。その後の話はまたいずれかの機会に…。

今振り返って思うことは、当時出井さんは70代だったと思うのですが、あのお歳で色々な若い世代に色々と熱心にアドバイスをされているのは本当に格好良いなと思いました。歳を取ると、若者から煙たがられるものですが、僕が見た多くの経営者やSONYの方々が本当に出井さんのことを敬愛されているご様子でした。SONY時代の毀誉褒貶は色々あると思うのですが、素直に、私も歳を取った時にこういう大人になりたい、と思えるような方でした。なかなか身近にこういう大人になりたい、と思えるような人がいないのですが、それは出井さんのような方を若いうちに間近で見てしまったからかもしれません。

SONY時代のご経験などに関しては、正直業界も時代も違うので、いま真似をしてみろと言われても難しいと思うので、今の自分と比較するのは難しいことだと思います。

ただ、自分なりに、自分の土俵で真似をしてみることは出来なくないと思いますし、出井さんを亡くした今、間近に接した人間にとしてやらなくてはいけないことなのかなと思います。私自身のこれまでの経験も、見方によってはある意味では最先端を突っ走っていると言えなくはないかもしれません。

年齢を重ね、自分が若い方に教えられることもたくさんあるかもしれない、と仕事で若い方に接する度に思ったりします。出井さんから受け取ったバトンを、自分なりに次の世代につなげていくということが出来たらと思います。

あの若い感性の時に、出井さんと間近に接することができたのは本当に私にとって大切な宝物です。そして、数々の貴重な経験をいただき本当にありがとうございました。当時の自分は本当に実力不足で何もできませんでしたが、その分、次の世代に経験を伝えていくことで恩返しをしたいと思います。改めて、本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈り致します。

杓谷 匠杓谷 匠

1984年生まれ。2008年に新卒でGoogleに入社して以来、一貫して運用型広告の世界に従事。2010年にスタートアップに参画するも、川原で膝を抱える日々を経験。その後、Tripadvisor、Google、ATARAを経て、2019年に英国に籍を置く世界最大級のGMPパートナーJellyfishの日本法人の立ち上げに参画。

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