【コラム】2001年のVAIOにその後の人生のすべてが詰まっていた

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インターネットとの出会い

今でこそ運用型広告や機械学習などにまつわる仕事をしていますが、僕のインターネットとの出会いは比較的遅く、2001年にSONYのVAIOを購入したことがきっかけでした。OSはWindows Meでした。実家が静岡だったので、兄の受験の際に、知人のパソコンで大学の情報を取得してもらっていたのが便利だったので、自宅でも購入した、という理由だったように思います。

実家の隣にあった美容院の美容師さんが、たまたまX JAPANのhideさんと美容学校時代の同級生ということもあって、高校時代にはX JAPANを聴くようになっていました。当時はもうすでに解散していましたので、情報を集めるためにこのVAIOを使ってX JAPAN関連のウェブサイトをよく見ていた記憶があります。

X JAPANのギタリストのhideさんは不慮の事故で1998年にこの世を去ることになりましたが、彼はMacで音楽を編集したり、ウェブサイトを自ら作って公開するなどテクノロジーの世界に積極的に順応していった先駆者の一人だったように思います。電話回線でインターネットをつないでいた1997年に都内5ヶ所のライブハウスをインターネットで同時中継する「hide presents MIX LEMONed JELLY」というイベントを開催していました。開催各地の様子をインターネットで中継したりしていて、今振り返ってみてもよく当時のインフラでやりきったなぁと感心します。

hide presents MIX LEMONed JELLY (1997)

あと、このVAIOでCDエクストラを見るのがとても楽しかったですね。CDエクストラというのはCDのロゴマークの下に+のマークが入ったCDで、音楽の再生の他に動画などが入れられているCDのことを言います。TSUTAYAでこのマークのついているCDを借りてくると、アーティストのライブ動画が見られたりして、「なんて面白いんだ!」と思っていました。

僕にとって、インターネットが楽しい、パソコンが楽しい、と思うようになったのは今振り返ると音楽の力が大きかったように思います。

DTM(Desk Top Music)への目覚め

その後、大学への進学を機に東京に上京するわけですが、YAMAHAの「MD4S」というマルチトラックレコーダーを購入して遊んでいました。今では見かけることがほとんどないと思いますが、MD(Mini Disc)にギターの演奏などを4トラック録音できる機械で、自分で録ったギターの音に合わせてギターを録音できたりするのでとても楽しかったですね。

ビートルズの『Sergeant pepper’s lonely hearts club band』という、後期ビートルズの象徴的なアルバムがあるのですが、このアルバムが8トラックのマルチトラックレコーダーで作られたと聞いて「俺が持ってるMD4Sとほぼ変わらないじゃん!」とビートルズの完成度の高さに衝撃を受けたりしていました。

With A Little Help From My Friends (Remastered 2009)

自分でもビートルズのようにドラムの音を打ち込みで作って音楽を作ってみたいと思ってDTMのことをあれこれ調べていたのですが、当時の機材やソフトは今よりももっと高く、とても大学生のバイト代で手を出せるものではありませんでした。

進学した先が早稲田大学の第一文学部ということもあって小説、演劇、映画などに目覚めることになって、大学2年から映画製作サークルに入って機材を借りてあれこれ作ろうとしてみたのですが、いざ自分で何か作品を作ってみてもなんだかしっくりきませんでした。当時の自分としては、「人生経験が乏しいことが原因だ」と結論づけ、小説ばかり読んでないで広く世界を見ておかないといけないなと思い、バイトをしてお金を貯めてニューヨークに行ってみることにしました。2001年9月11日に起こった同時多発テロからまだ4年しか経っていなくて、なんとなくニューヨークが世界の中心だと思っていたことと、ジョン・レノンが住んでいた、とかそんな単純なことが理由だったりします(苦笑)

2005年、iPod全盛期のニューヨーク

2005年、いよいよニューヨークに行くことになったわけですが、スーツケースの中に入れられるCDの量も限られるので、出来る限りたくさんの音楽を持っていけるようにMD1枚(74分まで録音できる)にビートルズのアルバム(1枚30-40分)を2枚を詰め込んだりして、いざニューヨークへと旅立ちました。

SONY MZ-E25-S

ニューヨークに来て初日にとりあえずタイムズスクエアに出かけようと思い、地下鉄に乗りました。ニューヨークの地下鉄と言えば治安が悪いと聞いていたのでおそるおそる地下鉄に乗り込んだわけですが、そこで目についたのは乗客達がつけているiPodの白いイヤホンでした。

iPod 第二世代

日本ではSONYの影響もあってか、レコード→CD→MD→iPodという順番で音楽プレーヤーが進化してきたわけですが、アメリカではMDをすっ飛ばしてiPodへと進化していたわけです。当時日本でiPodやMP3を使っている人はほとんどいなかったので、衝撃を受けました。MDにビートルズのアルバムをせっせと詰め込んだ俺の努力は一体なんだったのか、と思いました(苦笑)

どうやらIT業界が日本の知らないところで大きく変化しているらしい、と意識するようになりあした。今振り返ってみると、2005年のニューヨーク初日の地下鉄での経験が人生の方向性を大きく変えてたように思います。

2005年に撮影したタイムズスクエアの様子

僕の記憶の中ではGoogleとの出会いもこの2005年です。Googleは1999年創業で2004年に上々しているので、比較的遅い方だと思います。この頃の僕はまだブラウザのホームページにYahoo!JAPANを設定していました。当時はポップアップ広告が流行っていた時期だったので、Googleのブックマークバーをインストールするとポップアップ広告をブロックできるということだったので、インストールしてみたのが最初だったように記憶しています。

当時通っていた語学学校の先生がGoogleをブラウザのホームページに設定していて、「Googleは凄いよ」って言っていたのをなんとなく記憶していますが、2005年ニューヨーク滞在中の僕の頭の中では完全にApple > Google でした。

余談ですが、2005年にはマイケル・ジャクソンが赤ちゃんをバルコニーから見せびらかすという奇行が報じられ、なぜかマンハッタン中のVirginレコードやHMV(懐かしい)でマイケル・ジャクソンのライブ映像が流されていて、ついうっかりマイケル・ジャクソンにハマってしまいました。あの頃はマイケル・ジャクソンもまだご存命でしたね。

Google誕生 ガレージから生まれたサーチ・モンスター

2006年に日本に帰ってくると、『ウェブ進化論』がベストセラーになっていました。インターネットの普及によって、これまで手元のパソコンにインストールしていたソフトなどが、サーバーサイドで行われるようになるという、今で言う「クラウド」の概念を「こちら側」「あちら側」という言葉でわかりやすく説明されていました。そして、その中心にGoogleがいるということも説明されていました。語学学校の先生が言っていたあのGoogleか、となんとなく思いながらGoogleに少しずつ惹かれていきました。

当時、大学で社会学系の授業をとっていた影響で、『想像の共同体』という本を読んでいました。要約すると、「国」などの共同体がどうして出来ていくのかを紐解いた本で、グーテンベルクの活版印刷で普及した出版文化などの事例をもとに、情報の流れや社会のインフラを”共有”することが共同体の構成に大きな影響を与えるということでした。

この本が出版されたのはたしか1970年代のことだったと思いますが、現代に当てはめてみると、インターネットの存在、そしてその中心にいるGoogleが世界を大きく変えてしまうことは間違いないな、と強く思うようになりました。

そこでGoogleに関する本がもっとないかと調べてみると、『Google誕生 ガレージで生まれたサーチ・モンスター』という本が出版されたばかりでした。この本の冒頭はイスラエルのテルアビブに招かれた創業者のラリー・ページとサーゲイ・ブリンが学生に向けて話すシーンから始まるのですが、そこになぜか元ソ連のゴルバチョフ大統領が登場したりして、色んな意味で興味深いです。

この本で、検索エンジンの仕組みやGoogleが目指していることなどを初めて深く知ることができ、出来ることならGoogleで働いてみたいと強く思うようになりました。周囲は映画や音楽、出版業界などへの就職していましたので、少なからず迷いはありましたが、「Googleのことを内側から深く知らない限りは世の中に届くような本質的な作品は作れなくなるのではないか?」と思い、Googleに賭けてみることにしました。

検索ボックスの下に現れた小さなテキストリンク

とはいえ、自分はエンジニアでもないし、Googleとの接点もまったくない。新卒採用だってするかどうかもわからない。当時は今よりも学歴やコンピューターサイエンスのバックグラウンドに重きを置く企業だったので、憧れつつも雲の上の存在だなと思っていました。

そんな中、エン・ジャパンが主催する東京ドームで行われる合同会社説明会のイベントにGoogleが出展することを知り、とにかく社員の方に会えるだけでも嬉しいので行ってみようと思いました。そこで、文系職の採用がありますかと聞くと、少しあるかもしれないという返答をいただき、内心すごく興奮したことをよく覚えています。

その後、しばらくするとGoogleの検索ボックスの下に小さな「人材募集」のテキストリンクが表示され、AdWordsの営業を何名か募集していることを知り、早速応募しました。会社説明会に行くたびにとてもワクワクして楽しかったことを覚えています。

色んな偶然が重なって運良く新卒でGoogleに入社することになり、気がつけばそれからずっと運用型広告の世界に携わっています。正直、入社した当時はAdWordsのこともおぼろげにしか知らなかったのですが。

2001年のVAIOにその後の人生のすべてが詰まっていた

Googleでは、当時僕が初めてインターネットに触れたあのVAIOを統括していた方が在籍されていたり、Yahoo!JAPANの初期メンバーだった方も在籍したりしていました。また、ひょんなことから後にX JAPANのYOSHIKIさんが株主となる会社で働くこととなり、YOSHIKIさんと食事をご一緒させていただくなど、2001年にVAIOのモニターで見ていたウェブサイトを運営していた方々と一緒に働くことができたのは幸運なことでした。

もし過去の自分に声をかけることができるとしたら、2001年に高校2年生だった自分に「今お前が見ているウェブサイト作ってる人たちと将来一緒に仕事するよ!」って声をかけてやりたいですね。

これから

Googleと出会い、運用型広告を仕事にしてから10年以上経ち、学生時代に先送りした「Googleのことを内側から深く知らない限りは世の中に届くような本質的な作品は作れなくなるのではないか?」という疑問に回答できるだけの年数が経ってしまいました。

これから大きく世の中が変化していく中、その大きな変化に対する「不安」やそこからくる「焦り」が「怒り」につながっているように思います。個人的にはそういった漠然とした「不安」を和らげるのは音楽であったり映画であったりお笑いなどの役割なんじゃないかなと思います。

十数年この業界にいて、ある意味で変化を率先して作り出す側にいたわけですが、これからは少しずつ「不安」に寄り添える何かを作っていくことが出来たら、なんてことを漠然と考えたりしています。

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この記事を書いた人
杓谷 匠

1984年生まれ。2008年に新卒でGoogleに入社して以来、一貫して運用型広告の世界に従事。2010年にスタートアップに参画するも、川原で膝を抱える日々を経験。その後、Tripadvisor、Google、ATARAを経て、2019年に英国に籍を置く世界最大級のGMPパートナーJellyfishの日本法人の立ち上げに参画。

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